100年の歴史
12月9日は、ピラティスの生みの親 Joseph H. Pilates氏の誕生日です。
ピラティス氏がエクササイズを考案し始めてから約100年になります。
お誕生日おめでとう〜*\(^o^)/*
ピラティスインストラクターの友達がピラティス氏について、
英語版Wikipediaを大まかに翻訳していたのでシェアします。
※少し付け足した部分もあります
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1883年にドイツで生まれたピラティス氏は、生まれつき身体が弱かったがゆえに、
人一倍、身体のことを考え、鍛えて、
体操・ボディビルディング・柔術・ボクシングなどのトレーニングに励みました。
筋肉質のボディモデルになったり、サーカス団でパフォーマンスしたり、
警察官に自己防衛技術を教えることもありました。
いち早く「現代の生活様式からくる悪姿勢」や「呼吸」が健康維持に影響することに注目し、
トレーニング方法を考案していました。
ピラティス氏がイギリスに住んでいる時に1914年に第一次世界大戦が始まります。
イギリス軍に抑留されたのがきっかけとなり、兵士にレスリングや自己防衛法を教えたり、
大きな怪我をした負傷兵へのトレーニングを担当しました。
この時にベッドのスプリングを外して、
寝たままエクササイズできるようにしたのが、ピラティスマシンの始まりです。
これが、のちに「ピラティス」と呼ばれるエクササイズで、「コントロロジー」と呼んでいました。
ホリスティック・メディスン、瞑想、ホメオパシー、トリガー・ポイントセラピー、呼吸法、モダンダンス、ヨガ、
動物の動き方も研究に取り入れるなど、西洋・東洋両方の身体訓練法を研究したと言われています。
1918年に疫病(インフルエンザ)が流行し多くの人が死にいたりましたが、
ピラティス氏のトレーニングを受けていた人たちは、1人も死ななかったと言われています。
1918年末に大戦が終わると、ドイツに戻り、
彼はダンスやフィジカルエクササイズの専門家など(ルドルフ・フォン・ラバン)
とコラボしてトレーニングを改良していきました。
そのころまた軍人をトレーニングしてくれと言われたのが嫌になって、ドイツを離れ、
1926年の45歳の時、アメリカに渡りました。その時の船の中で、妻となるクララと出会います。
夫婦でニューヨークにスタジオを開き、オリジナルエクササイズを指導していきます。
1960年台、80代になっても自分で生徒を指導し続けました。
「コントロロジー」は、筋肉を制御するために「心」を使い、
身体全体ののバランスを取って背骨を助けるために、
姿勢を保つコアの筋肉にフォーカスしようというものです。
具体的に言うと、呼吸、背骨の配置、深部の筋肉などへの意識を持つということです。
映画スター、医者、ビジネスマン、ダンサー、音楽家、サーカス芸人、
体操選手、職人、学生などたくさんの人が氏の指導をうけました。
コントロロジーエクササイズによって、ピラティス氏と妻クララは、
ニューヨークのダンスシーンや舞台芸術などの世界に大きく貢献しました。
有名ダンサーのジョージ・バランシン、マーサ・グラハムなども、
このスタジオに頻繁に通ってセッションを受けていました。
ニューヨーク・シティ・バレエ団でのエクササイズ指導もピラティス氏が担当しました。
ピラティス氏の運動療法は、柔軟性、強さ、スタミナを構築するのにおおいに役立ちました。
バレリーナがピラティス氏のスタジオによく通っていると知られるようになり、
世の女性たちもよく通うようになっていきました。
ピラティス氏は、1967年に83歳でなくなりました。
スタジオが入っていた建物が火事にあい、ピラティスマシンを守ろうとして煙を吸ったことが原因と言われています。
ピラティス氏は遺言を残さず、指導法テキストもありませんでしたが、彼らのもとには数多くの弟子がいて、
膨大なエクササイズのバリエーションを保持し、また後世に伝える人材が多く存在しました。
ピラティス氏から直接学んだ直弟子たちは「エルダー」と呼ばれています。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Joseph_Pilates
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実はこれを訳す時にほかの記事も参照していたらしく、
妻クララはピラティス氏の3番めの奥さんだった!ことを教えて頂きました(笑)
クララとの間に子供はいなかったけれど、最初の奥さんのところには子供が居たみたい。
まだ、プロボクサー・体操選手だった頃だけど(笑)
100年という、まだまだ浅い歴史がゆえに
時代背景がこんなにもリアルに描かれていて、そして現代に伝わるという。
それはそれで、とっても貴重な事のように感じます。
yukino